コアラの木登りノート

文章を書くチカラをつける。誰も読んでいませんから〜。

3・11【163】

その時息子は保育園。

電話をかけるとまだ、混線前だったのか

幸いにも連絡がとれて無事を確認。

カミさんとも連絡が取れ、無事を確認。

 

一方電車も動かず、会社で一晩過ごしたのであります。

翌朝も混乱の中、ようやく家に着いたことを思い出す。

夜食を買いにコンビニに行ってもほぼ商品はなく、

(ほんとはダメですけど)

賞味期限切れのポテチがあったくらい。

 

クライアントが炊き出しで応援したいということで

女川と多賀城に2011年5月に行きました。

震災直後でニュースで見た光景が目の前にある。

社内のボランティアの方と共に東京を夜出発して

翌昼に体育館で炊き出しをおこなった。

 

出発にあたっては、マニュアル作りにも相当頭を悩ませた。

現地での作業は、もちろんガスも使えない環境が前提。

まだ余震も続く中であることを踏まえることが必要。

先輩にチェックをしてもらい、何度も書き直し。

ボランティアの方に

何を・どこで・どうやって分担してもらうか?

など当日の動きを説明することもさることながら、

万が一の事態を想定する必要があった。

バスで現地に向かう途中、炊き出し中、帰りの道のり。

どこで何が起こるか分からない。

 

ボランティアの方にも緊急連絡先を書いてもらい

東京の責任者にもリストを渡し

万が一の場合ご家族へ連絡を取ってもらう想定。

 

事前に伺った時には、別の方々が炊き出しを行っており

その時に避難されていた方々は、お中元の空き箱や段ボールを

トレイにして食事を受け取っていた。

 

我々は、百均でトレイを買ってそのトレイに食事を準備して

そのトレイをそのまま渡してプレゼントした。

これから暑くなるので団扇もいっしょにお渡しした。

 

まだ、仮設住宅も作り始めたばかりのときであった。

東京に避難された方のコミュニティーに向けたイベントで

仙台白菜をつかった鍋を作ったこともある。

 

もう7年前になる。

そして息子も今度の4月には6年生。

 

記憶だけはなく、ここに記録しておこう。