コアラの木登りノート

文章を書くチカラをつける。誰も読んでいませんから〜。

次につなげる【429】

ここのところ、日曜日21時のドラマに

ハマっているのです。

 

月曜日に向けて元気がもらえる

熱い話が毎週あるのですが、

前回のあるシーンでの一言。

 

自分たちの成果が、次の研究の礎になる。

 

ふと10年後の会社員として

何が出来るのか?をまじめに考えるきっかけと

なるセリフだったのです。

 

今新卒で入社したメンバーは

ざっくり25歳だとして、60歳まで

働くとすると35年間あるのです。

 

今やっている部署で同じ仕事を

35年間変わらずやっているのか?

と言うとそうはならない。

その間に若手がどんどん入っていき

上司や先輩として指導をする立場に

なったり、違う部署で、違う仕事を

やっていたり、昇格試験を受けていたり、

と今は会社で一番若いと言われているメンバーも

先輩として、キャリアを積んだ仕事人として

会社にいるのです。

 

そうした今いる若手に何を残せるのか?

 

これだけ外部環境が目まぐるしく

変化している中で、

過去の知恵を手渡したとして

もう古いものになっている。

 

とすると、

目の前にある仕事のアドバイスの中身も

変わってくる。

 

濾し器に自分のキャリアを注いで、

濾紙を通って落ちてくるものが

純度の高い、伝えていくべき智慧なのだとすると、

いったいなにか濾紙を通るのか?

 

すうーっと流れて、水でした、

なんてなったら

うーん、自分は何だったの?

ってなりそうです。

 

少なからず、クライアントには有難うって

言われたことがあるし、

電話をもらって頼まれたことはあります。

でも、それは、自分だからと言うわけではなく

会社だから、担当だからということのほうが

多いかもしれません。

 

当時クライアントで一緒に仕事をした人と

お互いにちょっと偉くなってお会いした時

あの時は大変でしたね、と言い合える関係が

残せるか、残せているか?みたいな

人間関係を築けるかっていう部分が

濾紙を通って残るものなのかもしれません。

 

そうなると、依頼内容に対して

そのまま、

ビジネスとして答えを出すことって

本当にその依頼に対する答え方として

合っているかというと、ちょっと疑問です。

 

そもそもなんで困っているのかを

聞き出して、そういうことなら、

こういう方法はどうですか?と

答えることの方が

クライアントの期待に応えているのでは?

 

それを、いや言われた通りでいいんです。

と言ってしまうと、言われた当人でなくても

誰でもよいことになる。

 

過去のデータベースから

AIチックに答えはコレです。って

調べましたという報告と

同じになってしまう。

 

もっと本質を突き詰める議論や

質問があっておかしくないのです。

 

過去のノウハウは、

その当時の背景にあっていたからで

その当時と今は違うから、

そのまま当時の話をしたとして、

技術も進化しているので、やり方も無駄が多い

方法を伝えてしてしまうことになりかねない。

 

誰でもいいからお答えください。

って依頼を受けるのではなく

◯◯さんだから、がないと

30年はシンドイです。

会社のノウハウは

標準化・見える化する必要が

ありますが、最後にものをいうのは

そうした情報を駆使しながら、

脳みそに汗を描いて

答えを出そうとすること。

 

情報に溺れないようにするには、

ある程度本人に泳ぐ力がないと溺れます。

泳げないのであれば

泳ぐ努力を続けるしかない。

ロジカルに考えることができないのであれば

毎日ロジカルに考える努力をしないと。

 

そうした◯◯になりたい。◯◯したい。ってことを

即行動に移して努力できる環境を作ってあげること

が、自分の濾紙を通ったあとに

残せる何かなのかもしれません。

 

思い起こせば、先輩から教わったことは

技術もありますが、精神力に近いものや

判断する力、考えることだったりします。