コアラの木登りノート

文章を書くチカラをつける。誰も読んでいませんから〜。

スルーしない。【410】

息子の学級だよりで

修学旅行に行ったことが

記事なっていました。

 

いまだ藁半紙なのが

小学校感を醸し出し、

いつの時代も変わらないものなのかな

と思いつつ、違っているのは

パソコンで書かれていること。

 

さて、

そこに書かれていた言葉でなるほどと思ったのは

先生方が生徒に話したこととして

 

「体験に考えることを足すと経験になる。」

「体験して感じたことを自分の力にすること」

「一流とは、人の話を聞き、

   自分で考えて行動できること」

「友達の良いところも感じることが

   できるいい機会であること」

 

と行った話を

修学旅行中に伝えていたという。

 

社会人になって、会社員になっても

必要なことを小学校時代に

学んでいるものですね。

確かそんなタイトルの本も

ありましたが・・・。

 

大人になると勝手に

なっていくのですかね?

 

もう一つ、これは、NHKの番組で

ぼーっと生きていたなぁと

思わせるやつを見ていて、

「親父ギャク」を親父はなぜいうのか?

という疑問。

答えは番組で。

ふたつの脳の機能が関係しています。

 発達と退化が関係しています。

 

この番組は、「なぜ」を題材にしており、

そういえば、疑問に思うこともないまま

生きていることを痛感します。

 

小さい頃は、なんで?どうして?と

質問することが多かったはずなのに、

大人になると「どうやって?」って

質問することが多くなって、

「なぜ」って聞かれると

言葉に詰まることが多いこと。

 

何かミスをしたとき

「どうやって」改善するか?

手段を見直そうとする。

そもそも

なぜそのようなことが起きたのか?

原因を追求しないまま、

絆創膏で傷口をふさぐようなことを

おこなってしまう。

 

そもそも、なんで傷ができたのか?

石につまずいて転んだのであれば、

絆創膏を貼ることも必要だし、

石を取り除くことが必要。

でも

そこになぜ石が置いてあったのか?

も考えないと、本当の解決にならない。

 

目の前にある石だけを

取り除いただけで、翌日には違う石が

置かれているかもしれない。

時間がないから、とか、

これでいいんじゃない、とか

手前で裁いてしまう。

 

本質はどこにあるのかを

考えることをクセにしておかないと

どんどん、ぼーっとしてしまう。

 

意識をするだけでなく

考えるって行動をするのと

しないのでは、

どんどん差が開いていく。

 

息子の学級だよりに書かれていた

先生たちが話した言葉は

なぜ話そうとしたのか?

その意図を理解しないと肚に入りません。

右から左へスゥーっと抜けますぞ。