コアラの木登りノート

文章を書くチカラをつける。誰も読んでいませんから〜。

なんとかなる【343】

ふと、英語ね〜。

なんとなく喋れるような気がしなくもない。

 

世界の果てまでイッテ○でも

なんとかコミュニケーションとれているしな。

今や、同時翻訳機も性能良くなっているし

テキストの翻訳もできる機能があるしなぁ。

 

英文翻訳については、

大学時代にカミさんのゼミの宿題で

翻訳を頼まれて、1日中

英和辞典、英英辞典を

駆使し、意訳までやったことがある。

 

その提出物は

ゼミの先生から「素晴らしい」と

言われたのである。

翻訳は、単に英語を日本語に

変えるだけの作業ではない。

 

言わんとしていることを、

日本人に伝えること。

「意味を訳す」ことは、

「(本で伝えようとしている)意味に訳す」

ことである。

そう捉えると、元の英文は参考文献になる。

 

シドニーシェルダンの本はよく読んだ。

すんなり頭に入ってきたのは、

英語をカタコトの日本語に

訳している部分がないからであった。

読みやすい翻訳は、日本人が日本語で

書いたものだと思えることかもしれない。

 

どうしても海外文学は、

主人公の名前がカタカナなので

覚えづらいは難点。

登場人物が多くなると、

誰だか分からなくなる。

 

書いてあることの本質を捉えることが

できれば自ずと日本語で書いた文章になる。

なので

英語ができるというより

文章をわかりやすく書くこと

だとすると国語のスキルの

一つになる。

 

では英会話は?

コミュニケーションは、

相手に伝えることなので

正しい単語をつかえるかどうか?なので

英文法が間違っていても、

大丈夫なんじゃないかな?

 

割と海外の方から尋ねれることが

多いのだが、なんとか答えることが

できた。

以前、

銀行のATMでお金を引き出せない黒人の方が

困っていて、引き出し方をカタコトで

説明して引き出すことができたし、

道案内も地図さえあればなんとかなる。

 

ゴーストレイト、ターンレフトで

なんとかなる。

スマホもあるからね。

 

高田馬場ので一緒にバスケもした。

アリウープさせようとパスしたら

飛ばなかった。

「なんで」と聞いたら、

腰が悪かったんだって!

 

では、

学校で習う英語は何をするためのものぞ?

 

海外の知恵を仕入れるために、

その国の言葉で書いているから

訳さないと分からないので訳す。

そう考えると英語も手段じゃないか!

英語の勉強をしなくても

なんとかなるんじゃないのか!

と自分に言い聞かせる。

 

しかし我が子のこととなると

目の色が変わって

「勉強しなさい!」ってなる。

 

書いておきながら、なんだかなぁ。

読書感想文に苦戦を強いられている

我が子がブツブツ文句を言っている。

 

書き出しの200文字はいい書き出し。

さて残り1,000文字。

休憩をこまめに入れながら書き切ろう!

 

えっ、昼寝?

おーい、起きようぞ!