コアラの木登りノート

文章を書くチカラをつける。誰も読んでいませんから〜。

大人になって小学校の卒業文集を書いたような【170】

日曜日は息子の友達の来襲が必ず。

 

朝から掃除してない!

早くご飯食べなきゃ!

布団畳まないと!

部屋片していない!

着替えないと!

と畳み掛ける準備が訪れるのであります。

 

とは言ってもカミさんも仕事をしているので

週に一回の掃除をしないとね。ということで

友達の来襲は、我が家のリズムを作ってくれる

意味でもありがたいのでございます。

 

このリズムを作るっていうのが

なかなか自分の意思だけでは思うように

いかないのは、グータラな性分と相まって

難しい。なにかをやろうと思った時に

すぐに体を動かさないとそのままスーーっと

しないままになる。

 

行動することで、意思が生まれることも多い。

イヤイヤでも始めてみると、

もう少し続けてみようってなることが多い。

車のエンジンをかけるのと同じで、

スタートするっているのが体力・気力を

一番使うものなのですな。

 

さてさて、今朝もなぜか5時には一度起きて

テレビ寺子屋を見てました。

花マル学習会の方が講師で、

「没頭力」という話をされていました。

 

何かに没頭することができれば、

その集中力は他のことにも応用が効く。

という話。

本の虫になるくらい本を読む経験が

大事!と言ってましたぞ!

<本屋の皆さん!図書館の皆さん!>

 

集中してやったことが経験値として備わっていると

あとは、コンテンツの違いなのだ。

だから、外遊びをとことんするのも大事。

サッカーとかは瞬間的に

ボールをトラップする・周りを見渡す・

シュートか誰にパスするか・

敵の位置はどこかとか

全体を俯瞰して次のアクションを

瞬時に判断する

そうした経験を培うのも大事。

 

要は子供の頃に原点があるのです。

(大人になるとやっていないので減点ってか)

よく遊びよく学べ

読み書きそろばん

早寝早起き

朝ごはんは食べる

寝る前に歯を磨く

人の話を聞く

本を読みなさい

(今だに75歳の親父から言われます)

って言われましたね。

 

はて、自分の小学校時代はどうだったか?

 

この辺りから
ケツメイ○さんの曲がバックに

かかってきている感じになりました。

 

○4年生からバスケットを始めて、

   痩せた(高校卒業まで続けた。)

  背が伸びると言われたが、腕が長さが

  体の割に長くバランスが悪いまま成長(R2○2?)

○ゲーム機は買ってもらえなかった。

ゲームウォッチ1台のみ!)

   友達の家でやらせてもらったけど

  ミスって終わる交代制で5秒くらいで

  終了になり、結局友達がやっているのを

  ずっと見ていただけだった。

マイコンで、本に載っていたゲームの

   プログラム(ベーシックっていうプログラム

   言語)を1日かけて入力して、エンターを

   押しても動かず失敗。

○そろばんは4級で終了。

○絵画コンクールは県展入賞!

○家族と外食に行ったのは数える程度。

(中華屋さん今だに実家の近くにあります!)

○年末に親父と後楽園に宝くじを買いに行き

   そこの近くの寿司屋で親父と2人で食事。

   帰りにアメ横に寄って、土産を買って帰る。

(黄色いサッカーボールを買ってもらった

   ような記憶がある)

○運動会では成績発表係、予行練習で

   つまづいた時にマイクのコンセントを

  歪ませて、壊した。(これは今だ内緒な話)

○小学校4年の時に、新設の小学校が出来て

   そっちに転向。通学が一番遠くなった。

○小学2年の時には作文を町の有線放送で

  発表された。

  (その時の作文ノートを母親から最近渡され

   当時字が綺麗だったことも発覚)

○修学旅行中、バスの中で好き嫌いクイズ

   (みんなが答えがを紙に書いて

   それが好きか嫌いかを言って、答えを

    発表してわーッとなるやつ)をやった時に

   友達が紙に自分の名前を書いていたようで

   ある 女の子が、「好き」と答えて、

   答えが自分の名前だったので、

   妙に意識して照れた。

○学年ごとに文集を必ず作っていて、

   コラムを書いていた(当時はガリ版だった)

○給食当番は準備は男子がやって、片付けは

   女子というルールを作り

   昼休みにサッカーをする時間を確保した。

(校長が給食を食べようとしたら生徒が

    校庭に飛び出したのを見て、

    校庭に出る時間を決めらてしまった。)

 

とかそんな小学時代を送っておりました。

 

まあ、モノもそんなにない中で、空き地も

多くて日が暮れるまでサッカーしたり

東京からの転勤の友達が多かったので、

勉強のできるやつが周りに多くいて

江戸川乱歩シリーズを全て読破するのを

競ったこともありましたな。

今だに嬉しいと思っているのは、先生に

お前みたいな奴は珍しいタイプだ

と言われたこと。

意外にみんなのために尽くすのを

厭わなかったことを褒められた。

 

今じゃ、カミさんにあれやれ・コレやれ

言われるのを必死に文句を言って

抵抗して、議論というの名の口論になり、

結果自分がやっている。

 

改めて書き出してみると、

そんなに親から口出しをされて

いなかったように思うわけです。

 

もう定年をとっくに過ぎた親父は、

当時会社員時代は車通勤だったので

もっぱら家飲みで、毎晩サントリー角を同じ

格子柄のグラスにひとマス分の

高さまでウィスキーをいれて水を注ぐ

飲み方で呑んでいた。

つまみも自分で作るのでそのつまみを自分も

おすそ分けしてもらっていた。

未だ元気です。

ゴルフもシングルプレイヤーで全く勝てません。

 

親という立場であーだこーだと

当時言われたことって少なかった。

いざ自分が親の立場になってみて、

親父のように子供と接するのが

よいのか分からないですが、息子も当時を

振り返る時が来た時に

あの時は○○したなぁー、とか思い出す時が

くるのさー(H20)

 

自分の基礎を作ったものは何か?

って、たまには

書き出してみると恥ずかしいような

懐かしいような

原風景ってこういうことかな?

 

いやー小学校の卒業文集を大人になって

書いたような感じで

センチメンタルジャーニーって

まったくもって恥ずかしいっぺ。

 

サクラ舞い散る中に〜、だっぺ!